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フェレンツ・プスカシュ [サッカー]

《CL展望》
・セルティックに痛い一敗を喫したマンU、ホームにベンフィカを向かえ、1次リーグ突破をかける。

・バルサ、ブレーメン戦に1次リーグ突破をかける。

両方とも白熱必至の試合なのでぜひ観たいと思います。(^^)

《私的選手名鑑》No.15
フェレンツ・プスカシュ(Puskás Ferenc biro)
先月、11月17日、他界したハンガリーの英雄、プスカシュを紹介します。
デスティファーノとともにレアル黄金期を築いた伝説的プレーヤーです。この頃のハンガリーはマジックマジャールとよばれたいそう強かったそうです。ちなみに国際Aマッチ84試合出場、83ゴールという記録を持っているそうです。

結構貫禄あります。

デスティファーノとの写真

追悼のビデオクリップ。
http://www.youtube.com/watch?v=KGHMZnAjTls

白黒であまりよくわからないかもしれませんが、すごいなぁ、というプレーも随所に見られます。
http://www.youtube.com/watch?v=cxrfvC7vnaY&mode=related&search=

プロフィール(Wikipediaより抜粋)
フェレンツ・プスカシュ(Puskás Ferenc biro)
1950年前半から1954年W杯スイス大会の決勝で敗れるまで4年間無敗を続け、「マジック・マジャール」と呼ばれたハンガリー代表の主将として活躍した。

W杯スイス大会では、プスカシュは予選リーグの西ドイツ戦において故意のファウルにより負傷し、決勝リーグ2試合を欠場することとなった。

大黒柱を失ったハンガリーはそれでもブラジルやウルグアイといった強豪を相手に勝ち進んだが、疲労が蓄積し、決勝で再び西ドイツと対戦する頃には満身創痍の状態であった。プスカシュ自身も怪我をおして出場したものの、イギリス人主審の不可解な判定(直前の親善試合でハンガリーはイングランドを2度大差で破っていた)に苦しみ、結果2-3で敗北。マジック・マジャールの不敗神話は最も重要な舞台で終焉を迎えた。

1956年、ハンガリー革命が発生した。たまたま遠征中だったプスカシュはそのまま帰国せず、影響でハンガリー国内リーグが中止となったこともあってプレーの機会を求めてスペインに亡命する。しかしハンガリー政府の圧力がかかり、2年間の公式戦出場停止処分を受けてしまう。
処分が明けた1958年、30歳でスペインの名門レアル・マドリードに加入。ディ・ステファノらと共にレアル・マドリードの第1次黄金時代を築いた。後にスペイン国籍を取得し、スペイン代表にも選出された。

1966年に39歳で現役引退。その後世界各国で監督を歴任した。
1971年にはギリシャの名門パナシナイコスを率い欧州チャンピオンズカップの決勝まで導くも、オランダのカリスマ・ヨハン・クライフ率いるアヤックスに惜しくも敗れた。

6年間、アルツハイマー病のため寝たきりの状態に陥っていた。2005年には彼の名を冠したチャリティ・マッチが開催される。


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